26.2.12

一生忘れられない日付

2001年9月11日
友達とロンドンの中心にあるインターネット・カフェに行って遊んだ。専門学校からの夏休みの最後の数日間を楽しんでいた。帰りの地下鉄はすごく遅れて走っていた。普通40分ぐらいしかかからないんだが、この日には2時間半もかかったで。帰ってから理由が明らかになったけど、電車に乗っている間何も知らず、ちょっとイライラしてきた。アメリカはロンドンから遠いかもしれないけど、やっぱりその国の影響はすごいだな~と。

2005年7月7日
私はワーホリとして東京に住んでいて、7月の始めに高校の友人は東京に会いに来てくれた。その日に池袋の近くにある日本庭園に行って、そして大戸屋でランチを食べた。私は15時から仕事があって、池袋のLOFTで友人と離れて出勤した。23時ごろ、私は家に帰った。友人はもう、2時間も前に帰ってきた。日本語がまったく分からない友人は混乱した状態でテレビのニューズを見てた。「ねぇ、すごい心配してるけどよく分からんから、ロンドンで何が起こったのか教えて!!! 」って。電話が持ってない私たちは非常にパニック状態で家族の安否確認してた。本当に人生で最も最悪な数時間だった。始めて日本はすご~く遠く感じた。

2008年1月11日
1時間後の課題のプレゼンのため、緊張しながら大学で準備してた。プレゼンが苦手な私はプレゼンを恐れていた。突然会社からの電話がきた。珍しいなーと思いながら出た。もしかして、私がミスをしてたのかしら…? という考えが頭に浮かんできた。「Hello?」って。同僚の鳴き声が聞こえた。「さっきね、ボスが… ボスがね、会社の13階の窓から飛び降りちゃった。もう亡くなっちゃったのよ~。事故なんかじゃなかった。自殺だった。遺書間でも書いちゃったみたい… 私たち止めようとしたんだけどダメだった。どうしようよ~」って。
もう、大学のプレゼンは大事かもしれないけど、もう、どうでもいいっていう事になっちゃった。

2011年3月11日
地震が起きた時、私は授業中だった。私も生徒たちも担任の先生もまったく感じなかった。その授業は私の大好きな6年生たちと小学校から卒業前の最後の英語の授業だった。授業が終わって、職員室に行って、明日の準備してた。異常なし。私と近くに住んでいた教育実習生と一緒に歩いて帰った。歩きながら週末の予定とか、これから新しい学年などについて喋っていた。学校も家も海の近くにあるのに津波のサイレンは全然聞こえなかった。私達、地震や津波についてまったく知らなかった。家に帰ってからしばらくして、紅茶を作ってパソコンを開けた。フェイスブックのメッセージがたくさんあった。不思議だなーと思って読んだ。
「心配しているから早く連絡ちょうだい!!」って。
はい? 心配? なんでだろうと思ってテレビをつけた。しばらくの間、目の前の映像が信じられなかった。
うん、私は大丈夫やで。
しかし東北の皆さんは…

11日が多いな~

しかし、そう言っても、11日にいい忘れられない事もあるよ。だって、甥くんが2月11日に生まれたもん♥

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