23.3.12

もしも日本に行けたら…

私の大叔父は、6人兄弟の末っ子です。大叔父の父は牛乳配達人で、母は機織りとして働いていた。大叔父は3歳のごろ、事故で父が亡くなってしまいました。旦那さんが亡くなった母は頑張って6人の子供を一人で育てた。裕福な家族じゃなかったけど、大叔父はそれなりに幸せな子供時代を過ごせた。

そして1939年、イギリスはドイツに宣戦布告した。6人兄弟は軍隊に召集されるのをなんとか避けてもらったけど、大叔父は喜んで自分の国のために戦いくて、すぐ空隊に入隊した。1941年、軍事訓練を受けてから、インドにある陸軍基地に派兵された。大叔父の中隊の最終目的地は、日本だった。

しかし、大間違いのせいで、約束した航空機はどこにもなかった。中隊は航空機が来るまでインドに待つことしかなかった。1年も後にようやく航空機が届けたが、再びの間違いで、送った場所はインドではなく、スリランカだった。(こんなに間違いの多いイギリスは一体どうやって戦争に勝っただろうと思わせてしまうけどなー…)

大叔父の中隊は船でスリランカに行った。大叔父はその船旅が大好きだった。「友人とビールを飲みながら笑ったりした。ビール缶は海に投げ捨てたりした。インド洋はきっと、ビール缶だらけだろうな~」って。

スリランカで中隊と航空機がやっと再開できた。次の命令を待ちながら、敵に戦線にいる兵員に必要物を送ったりした。一度も危険にさらされなかった。大叔父によると、中隊のみんなさんはスリランカの女性を恋にしている時に、大叔父は女性より安くて美味いビールの方を愛していたそうです。
それは本当かね~

中隊は1年間ほどスリランカで次の命令を待ち続けた。命令がずっと来ないだろうなと思い始めちゃった時、日本に行く命令が出された。

シンガポール行きの船に乗った。
みんなは静かだった。
自分の国のために戦える機会がやっと来た。
帰れない確率が高かったことなどを考えたりするわけにいかなかったという。自分の中に出撃よていしか考えるのは許していた。

しかし、シンガポールから出発するまえに、日本が降伏した。日本に行く命令が一気にキャンセルされた。かわりにスリランカに経由してイギリスに帰った。ヒーローとして帰った。何もしなかったけど、ロンドンにいる家族の方が大叔父より戦争を経験したかもしれないけど、とにかく大叔父はヒーローだった。戦争から無事に帰った。

戦争後、サラリーマンとして働いた。しかし、戦争の時代がどうしても忘れられなかった。
「During the war...」
(戦争中にね、…)
はい、私はそういう戦争話をいっぱい聞かせてもらった。しかし、大叔父の戦争話は死や爆発じゃなく、ビールと海岸についての楽園っぽいな話ばかりです。彼にとって、戦争時代は人生の最もいい時だったみたいです。

実は大叔父はとってもラッキーな兵員さんだった。
もし日本に行けたら…

大叔父はもうすぐ92歳になります。
お誕生日おめでとう!

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